死を想うソロの美学~清春「SOLOIST」(2016)
はじめに
突然だが、死を意識したことはあるだろうか?
読者層によってこれは様々だろう。若ければそんなことはあまりないのかもしれない。
ちなみに、僕はしょっちゅうある。精神が病んでそういうことを言ってるわけではないよ。
何しろ、自分は生まれた時点で生死の境をさまよったり、その後も身内や近所の人が立て続けに亡くなったりしたり・・・そういうわけで生死に関わるニュースには敏感だったり、まあ人より死というものが身近なのだと思う。
それはもはや隣に誰かいてくれるとかそんなことで治るものでもないわけで、難儀だなあと自分でも常々思っている。
そんな自分はどう生きればいいのか? 死とともに生きるということはどういうことなのか?
それを自分に提示してくれた一枚を今回は紹介したい。
清春「SOLOIST」(2016)
- ナザリー
- 夢心地メロディー
- EDEN
- DIARY
- ロラ
- 瑠璃色
- FUGITIVE
- MELLOW
- MOMENT
- QUIET LIFE
- 海岸線
- メゾピアノ
- 麗しき日々よ
今作はソロ歌手「清春(きよはる)」の8枚目のフルアルバム。
この方はもともとV系ロックバンド「黒夢(くろゆめ)」のボーカリストで、バンド活動時の90年代初期は耽美で退廃的な音楽を表現していたが、90年代中盤は歌モノ路線、そして90年台後半にはパンクロック的な音楽に変貌、尖った歌詞と言動というそのいかにもロッカー然とした態度、楽曲で多くの男性ファンを獲得した(V系出身にしてはほんとに珍しい)。
いくらなんでも音楽性変わりすぎでしょ。しかもどれも作詞作曲の大半が清春だし・・・。
デビューから5年の経過を写真で見てみよう。
(デビュー前のガチガチ耽美路線だったころ清春、1993年ごろか?)
これが
(1995年頃、歌モノ路線だったころの黒夢)
こうなって
(ガチガチにパンク路線だったころ、1997年)
こうなった。
たった5年ちょい位しかたってないのに、ほんとにコロコロ変わり過ぎだ・・・
まあ、その後バンドは1999年に活動休止、新たに始めたバンド「SADS(サッズ)」ではパンクロックからグラムロックなどスタイルを変化させるも2003年にはまた活動休止。(ちなみに現在では黒夢、SADSともに再始動している。)
そんな清春が2004年から始めたのがソロ活動だ。バンドではあまり見せることのなかったメロウな歌もの路線や抽象的な歌詞が、彼の心境の変化を如実に感じさせる。
ちなみに今のビジュアルはこんな感じである。
(こんな人がデビュー前に首吊りパフォーマンスとかやってたんだから、凄い時の流れを感じる・・・)
ある程度清春という人間がわかったところで今作のレビューに戻ろう。
今作は全編にわたりほぼバンドサウンドの音圧や勢いとは無縁のミディアムナンバーで構成されており、どこかフォーキーな匂いも漂う芳醇な味わいの大人の一枚である。
付け加えると、清春の10数年にもわたるソロ活動の中で、最も死に近しくバンド出身者らしさが希薄な作品である。
最初のナンバーのナザリーは
「ナザリー 何を聴いたって忘れないで 果たした願いは狂え、って言うのに」
どことなく考えさせられるというか、「忘れないで」とか「言うのに」ってあたりに別れを感じさせる歌詞である。
ちなみに、黒夢の後期の歌詞、例えばシングルで出した「少年」(1997年)は
「優しげなこの街ではモラルという手錠が 味気ないガム噛んでる僕の腕に掛けられそう」
SADSのシングル「忘却の空」(2000年)なんかは
「だからベルベットの空の下 歌う声は聞こえてる デタラメのダウナーかわしてる 僕の声が聞こえてる」
ソロで出したシングル「LAST SONG-最後の詞-」(2005年)では
「最初から解ってたよ僕の歌はずっと孤独だった ただ怯えるように弱く」
これらに比べると反骨的でもなければ孤独を歌うわけでもない、当然のように来る別れを受け入れる諦観と余裕を感じさせる歌詞である。
それもこれもSOLOISTを出した時点の清春が48歳であることは大きいのだと思う。
セールス的な絶頂期も反骨も経験した彼はこのアルバムのリリースに際してこんなことを言っていた。
「最終的には球体というか生命体というか、自分の人生がゆっくり回っているような歌詞を書けたらいいなと思っているんです。引退もリアルに考えるから、やれる内にできることをやりたい。」[1]
これはある程度の浮き沈みや現実を知った今だからこそ言えることであろう。若いうちは考えないことだ。他にも様々なことを言っていたのだが、これが今の自分である、ということはしきりに繰り返していた。確かに、今作の歌詞や本人の発言から死を意識する様なものも多かった。
それを踏まえて聴くと、先にも述べたようにアルバムの全体像はミディアムテンポのナンバーが多く、というかアップテンポの曲はない。そして曲の構成もかなり余白が多めである。その分、キーボードやアコースティックギターなど歌詞と歌を最大限に引き立たせるアレンジがなされている。
歌詞もどことなく抽象的で大人な雰囲気が漂ってる。
「貴方は愛で、僕を手放しで笑う 素晴らしくって、、優しくって」(夢心地メロディー)
「君の笑みは悲しそうで それを止められなかった 思い出せば流れるよ」(MOMENT)
「uh 瑠璃色の愛を 足した霧は冴え 毎夜願えるよね love is all, love is all」(瑠璃色)
若さと勢いでは出てこない言葉が並ぶ。どれもこれも大人のナンバーだ。
今作は編曲なども少し見ておきたい。
大体いつも
・三代堅(みよけん)...M-AGEというバンドのギターだった。BUCK-TICK櫻井敦司の率いるバンドTHE MORTALではベースを努めている。
が参加しているのだが、
他にも
・是永巧一(これながこういち)...フレンズなどのヒット曲で知られるREBECCAのサポートギタリスト始め数々のアーティストのサポートギターを担当してきたすごい人。清春とは黒夢時代から何かと関わっていただいている。
・森俊之(もりとしゆき)....キーボードプレイヤーとしてももちろんだが、平松愛理、角松敏生、椎名林檎、宇多田ヒカル、スガシカオ、山崎まさよし、THE YELLOW MONKEY、元ちとせ、Mr.Childrenなど様々なアーティストのサポートでも知られている。
この両名が編曲に関わっている。どちらも清春より年上である。
自分よりキャリアの長い先輩と仕事をすることで吸収したいものがあったと本人が語っており、特に森俊之の編曲した「瑠璃色」「メゾピアノ」はキーボードの音色が光る。
それゆえ、両曲とも美しい音色を元にいつも以上に歌モノを突き詰めた非常にメロディの美しい作品に仕上がっている。
ちなみに「瑠璃色」に関しては1997年から現役で活躍するシンガーソングライター「原田真二」のライブを見たことでイメージが湧いたらしい。確かに昭和歌謡っぽさもあるメロディの際立ち方だ。
このアルバムは彼の終わりを見据えた美学を感じる作品であった。それはソロだけではなく人生の死をも見据えている。それは、僕という人間に
「死を恐れるのではなく死とともに歩む」
「いつか必ず来る終わりのための美学」
を教えてくれたように思う。
諦観とは決して負けではなく次のフェーズに進むための準備である。この作品は僕にそう示してくれた。自分にとってはこれからの生き方の指針となる作品だと思っている。
どう自分に幕を下ろすのかはまだまだわかるはずもないが、少なくとも老いと自分の美学を両立させることに関しては少し見えてくるようになったことはこの作品を手に取れた1番の収穫である。
このアルバムはV系出身であることとかそんなことはどうでもよく1人の人間の生き様が凝縮された、まさに「SOLOIST」という名にふさわしい作品なのでぜひ聞いてみて欲しい。
最後に色々曲紹介をしてお別れしたい。ではまた。読んでいただいた方にはいつもながら感謝を申し上げたい。
ちなみに今回は引用があったので出典も一番最後に明記してリンクも飛べるようにしておくので興味が湧いた方はぜひ。
1. 清春 - 『ナザリー』Music Video YouTube Size
時折入る日本語詞がとてもいい。それにしてもこの人は本当に画になる方だ。
2. 清春 「夢心地メロディー」
彼の繊細な歌詞がアコースティックギターと対比して非常に映える。
どこか枯れていく、まるで何かに対する餞のようなこの曲は秋や冬を感じさせる。
3. 清春 - 『MOMENT』Music Video YouTube Size
アコースティックギターが光る本作はアメリカでPVを録ったとのこと。
ギター担いで歩いてるだけで物凄くカッコイイのは清春のカリスマ性がそうさせるのか。
この曲に限らずどこか中性的な匂いがする清春の良さが詰まった曲でもある。
4. 清春 3.30 RELEASE NEW ALBUM「SOLOIST」DIGEST
アルバムの流れはだいたいコレでわかる気がするのだが個人的には「瑠璃色」「海岸線」「DIARY」は特に好き。どの曲もメロウで美しい。
コレに限らずソロ活動の清春の曲はどれもメロディの美しい作品が多いので、ぜひ聞いてみてね。
出典
[1]【インタビュー】清春、『SOLOIST』完成に「自分はソロだってハッキリ言いたいなと」から抜粋
(文:アキオシロートマグル)
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