酸欠少女はSNS戦国時代のYUIとなれるか?
まず簡単にプロフィールを紹介すると、彼女は2015年にメジャーデビューした21歳。RADWIMPSのフロントマン・野田洋次郎が作詞作曲をした「フラレガイガール」が話題になっていたのでその曲は知っている方も多いのでは?
その他、アニメやゲームのタイアップが付いた楽曲をコンスタントにリリースし、2017年5月17日に満を持して1stアルバム『ミカヅキの航海』を発表。
また「2.5次元パラレルシンガーソングライター」を名乗り、CDジャケットやMVでは「さゆり」「サユリ」「サゆり」とそれぞれ本人とは別人格のキャラクターが登場し、二次元と三次元を行き来するようなコンセプトが特徴的。(個人的にはこういう設定は非常に厨二心をくすぐられるので大好きです!!!)
1stアルバムの内容も充実しており、タイアップの豪華さはもちろん、雨のパレードがプロデュースしたM8「オッドアイ」なんて曲も収録。自身も「(楽曲制作を始めた)15歳から20歳までの成長記録のよう」と語る。
10代最後に作ったという「birthday song」は圧巻だ。
…とまあ、前置きはこのぐらいにして、本題に入ろうと思う。アルバムや楽曲のレビューは公式HPに詳しく載っているので是非そちらを参照されたい。
6月末に私はTwitterで個人的な「上半期ベストアルバム」を発表し、その中の一枚にさユりの『ミカヅキの航海』を挙げた。それほどまでに彼女の作品をどっぷり好きになった理由は色々あるが、最大の要因は「YUIを想起させた」点であるように思う。
タイアップありきでも自分の主義主張/考えや思いを楽曲に込める才能、特徴的な"揺らぎ"のある歌声、アコースティックギターをかき鳴らして歌う姿、凛とした佇まい。自分一人で孤独に世界と戦っているようなその姿勢は、どことなく初期のYUIと重なる部分が多いのである。さユりのキャッチコピーが「酸欠少女」であり、「息苦しい世の中で歌う女の子」という点もYUIを彷彿とさせる。
私は高校時代のほとんどをYUIに捧げたと言っていいほど、YUIのアルバムを擦り切れるくらい聴いていた身であり、さユりの登場はある意味衝撃的だった。
ただ、さユりがYUIと決定的に違う点は、その「強さ」にあると思う。
誤解を恐れずに言うと、YUIの強さは「弱さ」だった。さユりよりも儚げな印象があるYUIの歌声は、触れただけですぐに壊れてしまうような危うさがあったように思うし、歌われるテーマこそ両者とも「弱い自分でも強くありたい」と願うという点では一致するものの、その歌声の影響でYUIの方が主張の度合いでは弱くなる気がするのだ。
極めつけとして、YUIは何度か活動休止を繰り返し、結局メジャーシーンから離脱。一つの見方として、彼女はついに「負けてしまった」。
負けたことでYUIを嫌いになることはなかった。高校時代のどす黒い毎日を彩ってくれた彼女を私は今でも大好きだ。それゆえに、ずっとモヤモヤした気持ちを抱えていた。ギター女子の神様である"YUI"を葬り"yui"にしてしまったメジャーシーンを憎んだりもした。
そこへ現れたのが、さユりだったのだ。
彼女は圧倒的に強い。一人で歌い戦う姿勢は同じなのに、強い。おそらくそれは、彼女の楽曲(特に歌声)に込められた「とにかく肯定しよう」というパワーの強さにあるのではないかと思う。
TwitterやInstagramが全盛期を迎え、フォトジェニックであることやフォロワーの数が絶対的なステータスとなったこの時代。手段と目的が倒錯し他人の揚げ足取りゲームが日常茶飯事に行われるこのご時世。
さユりなら、このどうしようもなく生きづらい世の中を「一緒に」渡ってくれるような、そんな気がしている。酸欠状態から解放される日を願いながら。
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